ここにこそコストを掛けようや
「普通の人生を普通に生きる権利」すらお前たちは奪うのか。
滋賀のいじめの事件で、教師とか教育委員会とかが非難されてる感があります。まあアレな教師もアレな教育委員会もいくらでもあるんだろうが、現場の教師にそれだけの責任をかぶせるのは個人的にどうかと思うわけで。今の減点方式の評価方法(何も起こらないのがベスト)で、体罰なんかも厳しく規制(*)されてる中で、教師が権限を持って振舞えることがどれほどあるのか疑問なんでな。
本題。いじめを受けた人間がどう対処すればいいか。もちろんケースにはよるんだろうが、基本的には「逃げる」ことなんだと思います。自尊心を回復するまで、その空間から離れる。これしかないんじゃないかと。
さて、上記エントリ。いじめられた側が仮に「逃げた」としても、そのコストはすべていじめられた側にかかってくるという話。これはまったく同意ですわ。
ここは社会の仕組みとして「逃げ場所」を提供すべきだと思う。いじめにあったんなら、すぐに別の教育機関(少人数な教室でもいいし家庭教師のような形式でもいいし)に入ることができるようにする、そしてその事実は経歴には一切記載しない。これぐらいのコストを掛けてもいいでしょう。子供は「少なくとも」可能性は持ってるわけだからさ。可能性すらない・・・まあいいや。
いじめは絶対になくならない。まずこの事実から出発することが重要ですわな。完全自殺マニュアルだったか、「何の共通目的もなく人間関係だけが存在する学校では、恋愛ごっこかいじめしかすることがない」みたいな記述があったような気がするけど、そろそろ旧来の「べき論」から脱却して新しい価値観を受け入れる柔軟性が必要なんではないですかね。我々にこそ、な。
(*)個人的には体罰は絶対禁止すべきだとは思うけど。