老人をどうするのか

この手の話が盛り上がってるようなので。

 

「お年寄りを見殺そう」という第三極の政治勢力

備忘録 - そもそもなぜ老は敬われてきたのか

大半のお年寄りは「若いのに迷惑をかけたくない」と思っているのに……

 

この話の難しいところは、「老人」はあまりに身近な存在であることが原因だと思います。親族親戚あるいはご近所さんにも「老人」はいるし、競艇場にもいるし、競輪場にもいるし。全然関係ないけど、競輪場の年齢層の高さは眩暈がするほどスゴイです。そらドンドン潰れていくわと思います。うん、全然関係ないな。

 

だもんで、「老人を切り捨てる」的な政策の話になるとその人達の顔がチラついて、心情的に同意しにくい部分があると思います。少なくともオレはそう。表現は悪いけど、「若くて金がない」はまあ許されるが、「年老いて金がない」ってのはシャレにもならんというのが実感。

 

なんだが、状況はそんな悠長な話じゃなくなってきた。政治家(これも大半が老人)はマジョリティになりつつある老人のための政策しか打ち出さないし、自分の子供と孫にしか興味のない大半の老人は、残りの人生を「逃げ切る」ための政策しか選ばないって、残念ながら。

 

もうさ、「年金受給者は選挙権を返納する義務を負う」ぐらいのラディカルな方針を打ち出して、老人には少なくとも政策の舞台から「ご退場」いただくしかないんじゃないかね。”可及的速やかに”さ。

 

上記リンクには「ミクロ」と「マクロ」の視点があるという話があるんですが、「ミクロ」な視点で言えば、「余裕がある人」は老人を助けてあげていいと思うし、ぜひそうしてほしいんだけど、社会の枠組みを考える上では「ミクロ」な視点は外さないといけないというのがオレの意見です。